2025年9月25日
2025年の秋繭は、4,191個を数えて無事にすべての作業を終わりました。
上蔟から10日あまり、秋分の日の午後に、桑畑をお借りしている佐藤さんご夫妻にお力を借りて、繭かきを行いました。
天井から吊った蔟をおろし、「やっぱりいるねぇ、場外営繭している子が!」と目を細め、つぶれたり中で息絶えたりしている蚕さんの繭を取り除き、毎度威勢よくブイーンと稼働するマユクリンを通り抜け、4,000を超す秋繭の山ができました。

お父さんとお母さんの息の合った様子を見るのも、これが最後。

お母さんからは、今回出来上がった秋繭におっきなマルをいただきました!
お母さん、かわいい。。。
佐藤さんのお父さんからは「養蚕を通してみなさんと交流できて楽しかった」、お母さんからは「若返ったよぉ」というお言葉を最後にいただき、浮船の里での養蚕は幕を閉じました。
さまざまなことが頭の中に浮かんでは消え、浮かんでは消えていきます。
3月、東京電力の方も加わっての桑刈、6月は都路の稚蚕飼育所へ片道1時間ちょっとのドライブ、爪の先ほどの蚕を連れ帰る途中でお豆腐屋さんに立ち寄る楽しみ。蘭を買ったこともあったっけ。そういえばプリンも食べたな。
7月、春繭の上蔟が終わるとすぐに秋繭に向けて佐藤さんご夫妻は桑畑をいったんすべて刈り、青々とした葉っぱを迎えて9月の秋繭が始まったものです。
桑畑のご近所の方から、「朝早くから畑で楽しそうに作業をしているんだね」と声をかけていただいたのは、今年が初めてでした。
年齢も環境も生活も、いろいろなことが変わりました。
いまの小屋を使わせていただく前は、倉庫の一角に設えてあった蚕部屋。養蚕に携わった人を数えたら、のべ何人くらいになるんだろう。
変わらなかったことは、蚕のベッドを囲むと誰もが穏やかな気持ちになり、静かに桑を食む音に耳を傾ける姿だけがあったこと。
白くて柔らかなもの言わぬこの生き物は、育てる人の心をまるくしてくれました。
繭かきの日、穏やかな夕空が広がった原町の雲雀ケ原祭場で聞こえてきたのは虫の音。
2週間前は暑さにまいっていたというのに季節はちゃんと移っていって、小高のホームセンターの店頭には灯油缶とホッカイロがわんさか並んでいます。

繭かきの翌日、カンボジア方式のベッドもきれいに片付けて、蚕小屋はさっぱりとしたプレハブに戻りました。

(完)
2025年9月10日
5齢の5日目に入った浮船の里の蚕たち。

前日の夕方5時にたっぷり与えた桑の葉は、翌朝5時にはこの状態です。

今朝はしっとり雨模様の小高。4時半、久米さんの背よりもだいぶ丈が高い桑を、バチンバチンと鋏で刈ります。

蚕小屋の掃除が、だいぶ楽になってきました。
よく食べるので、もといよく食べ尽くしてくれるので、こんなに大きな桑を枝であげても、サンゴの枝のように茎と葉脈を残すばかりまでになるのです。
里美ちゃんが左手に持っているのが食前、右手に持っているのがお食後です。

残すところ、ほぼなし。
ここまできれいに食べてくれると、お掃除が楽で本当にありがたい。

掃除が終わると枝状になった残骸や蚕たちのフンを畑に捨てに行くのですが、ここのところ毎朝「ごめんね」と謝る羽目になっています。
前日捨てた桑の枝から、よいせと地上に這ってきた蚕が1頭か2頭は見つかるから。
今日も一人救出しました。

そして今日は珍しい発見も。
おそらく今年の春繭のときに捨てられた桑の枝で営繭したのであろう、うすい茶色の繭。ひっそりと畑に横たわる健気なたたずまいに、感動すら覚えました。

桑畑の一角に、綿花が育っていました。
意外に美しい色合いの花が咲き、固い実がはぜると綿花が中から出てきます。

久米さん、大事そうに摘んで浮船に持ち帰りました。
あすは5齢の6。ひょっとしたら、食欲はあすが最高潮かもしれません。朝4時半起きのお疲れは日中のお昼寝と栄養補給でケアをして、あと少し、もうひとがんばりです。
助っ人1号は今日で帰宅。
木曜に、強力な2号が到着します。
そのころには上蔟となるでしょうか。
どうか最後まで、みんな元気で走りきれますように!
2025年9月10日
食べ盛りの高校生シーズンに入った蚕たちのために、今日も4時半起きで桑畑へと繰り出しました。
朝の小高は曇天。昨日は猛暑日が戻り、今日はちょっと涼しいかなぁなんて期待したのも束の間、昼前からはじっとり蒸し暑い陽気に。
でも久米さんはご満悦。
雨が降ると、桑が潤う。葉っぱが乾くことがないので、蚕においしい桑を食べてもらえる、というわけです。
いつも清潔に保っている蚕小屋のお掃除が終わるとしばし、観察タイムに入ります。

葉の端から食べ始める蚕たちがほとんどですが、今日は一部、まぁるく穴を開けて桑を食む方たちが見つかりました。
蚕が桑を食む音は、サワサワサワサワと五月雨のように静かに小屋の中に広がります。

養蚕ラストイヤーがいよいよ最終コーナーに入った今日は、蚕さんの写真を多めに。クワコ(野生の蚕)と家畜の蚕さんの色の比較やら、同じ日に卵から孵ったのに個体差のはっきり出た蚕さんも。

5,000頭それぞれが実に個性豊かなものですから、見ていて飽きないのがおわかりいただけるかと思います。
おまけで、土曜日の夜にお邪魔した、久米さんが参加している親父バンドの皆さんを紹介します。

かれこれ7、8年は拝聴しているグループサウンズを、最近ようやく1、2曲覚えられました。華麗な指使いから生まれる重低音の音楽をいつしか口ずさめるほどになってきて、今回は久しぶりに練習にうかがいました。
みんなで弾きたい曲に挑戦して、真剣に楽器を操る姿は本当に楽しそう。

さて、蚕さんたちの成長はあすで5齢の5。5齢の7か8あたりで上蔟(繭の作り始め)の予定です。
助っ人1号は間もなく帰宅。入れ替わりで2号が到着します。
1号、上蔟の作業がだいすき。しかし次に来るのは、周期表で行くと5齢の9!おそらく上蔟には間に合いません。
これは日頃の行いの悪さゆえか。。。
2025年9月10日
春繭(6月下旬から7月中旬)に続き、秋繭が始まりました。すでにお知らせしているとおり(久米さんのFacebookでは)、10年目を迎えた今年で浮船の里での養蚕は一区切り。佐藤さんご夫妻の桑畑をお借りし5,000頭を育てるのは、今回で最後です。

例年通り、小田原から助っ人が来ました。これから、まだ来ます。まずは第一陣。
おどろくほど涼しい小高の朝、5齢を迎えたお蚕さんの暮らす小屋を開けると、、、ふわっと香る桑の青い匂い。
これこれ!
枝に鈴なりになった蚕さん。今日あたりからずっしりと重たくなってきます。
朝一番、青々と育った桑を刈りに向かった畑に埋もれた姿を探して、ちょっとした「久米さんを探せ」を楽しみました。

思えば10年の間に、桑が育たないの蚕が病気になったの、腰が痛いの足が痛いのと、さまざまなことがありました。
今回は「これが最後だから」と思い残すことのないように、どんな作業をしていてもいちいち感慨深い。昨年から養蚕に興味を持って浮船に足を運んでくださる南相馬市博物館の佐藤くんも来てくれて、朝4時半からの桑刈りもはかどります。
何年やっていても毎年なにかしら新鮮なことがあるものですが、今年気づいたことは、クワコの多さ。クワコとは、家畜化された蚕の祖先とされており、浮船で暮らす温室育ちと比べると見た目が異なります。褐色の体に大きめの丸い頭。真っ白の蚕さんに比べると、ちょっと愛嬌があるような。
一日で15頭近くも見つけることは、これまでにありませんでした。
さて、春は2,000頭余りと少なめだったお蚕さんも、今回は「多いねぇ」「いるねぇ」という会話が繰り返されるくらいにたくさんいます。5齢に入りいよいよ〝ぷりぷり期〟に差し掛かってきました。つまり最盛期の食欲。食べてもたべてもまだ、食べる。
気持ちのいい食べっぷりで、桑を刈るわたしたちも気合いが入ります。
悲しいかな、久米さんも助っ人もお年ごろ。
以前のようにムリはできなくなってきました。昨日は25℃、今日は34℃という急激な暑さの戻りも地味にツライのです。
小高の美しい空に励まされて、蚕たちが食欲のピークを迎える今週半ばまで走り切るには、水分補給と甘いもの、そして早めの就寝!

今日は、浮船の里のSNS関係で大変お世話になっている栗山さんご夫妻との再会に笑顔の絶えなかった久米さん。よく寝られそうとニコニコしながらお布団に向かいました。
2025年3月23日
小高に春が来ました。
桑畑をお借りしている佐藤さん宅の畑の土手には、フキノトウやらオオイヌノフグリやらハナニラやら。

気温もグングン上がって、上着を着込むと汗をかくほどの陽気の中、2025年の春繭しごとが始まりました。

小田原から宏子さんが来てくれて、佐藤さんご夫妻の指導のもと、桑刈りです!

細い枝を根元から切り、初夏に良い葉っぱがたくさんつくよう、手入れします。
前日にお父さんたちがフライングしてくださっていたので、あっという間に作業は終了。そうなればいつものお茶っこタイムです。

お煎餅にデコポン、ジュースに大福。ちょっとお母さんの姿が見えないと思うと、お台所から新たにバナナを持って登場しました。ちょっとも座っていない、気遣いのお母さんなのです。
昨年購入したお父さん自慢のトラクターの前でしばし歓談し、佐藤さん宅を後にしました。
今日はお楽しみがもう一つ。

久米さんの友人の愛子さんが、まぜぶかしを用意してくれていました。
しっかりとお味のついた具材がたくさん入ったまぜぶかし。お野菜たっぷりのけんちん汁の鍋も一緒に、浮船の里にお届けくださって、ほかほかのランチタイムです。
「普通の家庭料理よ」と言いますが、こういうごはんが一番おいしい。
おむすび2つとけんちん汁3杯を平らげて、ようやく満足しました。
昼食後、久米さんとわたしは6号線沿いの桜の手入れに向かいました。

東日本大震災後、京都府警から南相馬市に派遣されていた警察官の方が植えた桜が、国道6号沿いにあります。
枝の一部が密集している様子が、通るたびに気になっていた久米さん。ハサミを持って、木登りして、手入れを行いました。
震災から14年が経ちました。
お蚕さんのお世話で小高に来る。
特に用がなくても、久米さんに会いに行く。
久米さんは新海苔が出たら、佃煮を作って送ってくれる。
わたしは小田原のみかんの季節になると、久米さんが好きだからと送ってみる。
そんなこんなの14年でした。
この桜を植えた警察官の方たちをはじめ、久米さんのところに遊びに来るたびに、たくさんの人と出会いました。
久しぶりの小高を満喫したかったのにバタバタと仕事が入り、小高での滞在時間はたったの18時間。
ひとり車を走らせながら、さまざまなことを思い出す春の福島路でした。