ひさびさの小高の広い空です。
なんと1月に来て以来。
目まぐるしい毎日に追われ、いろいろなことが駆け足で過ぎ去ります。
たまーに声が聞きたくなって電話をすると、久米さんはいつも通り。
「元気だよー」。
6月、清々しい空と同じように、やっぱり変わらぬ久米さんが、小高にいました。
蚕は5齢の最高潮で、いちばんご飯を食べるとき。
わたしが訪れた日から遡ること4日、小田原から力強い助っ人の宏子さんが久米さんと一緒に汗をかいてくれていました。
到着した翌日、さっそく5時に起きて桑をあげに蚕小屋へ。
桑の成長は著しく、伐った枝から葉だけをはずして(条抜きといいます)蚕に食べてもらいます。
あれこれしているうちに宏子さんの出立の時間。〝都会の女〟仕様になって、浮船を後にしました。
さて、我々は桑刈りへ。
久米さんに借りた割烹着、すごくいい!
ご満悦のポーズです。
わたしの仕事は、ひたすら桑を伐り続ける久米さんの後をついていき、束ねる作業。
そのうちに、畑の持ち主の佐藤さんのお母さんがやってきました。
座って久米さんとおしゃべり。
カメラを向けるととぉーっても恥ずかしがるのですが、チャーミングな笑顔を見せてくれます。
やや遅れてお父さんも登場。
空がきれいで、みんな穏やか。
小高らしいひとときです。
さて、戻った蚕小屋では久米さんが悩み始めました。
お知らせが、来たかなぁ。
左右の蚕の違い、わかりますでしょうか。
もりもり食べ盛りでぷくーっと膨れた真っ白なからだが、ひとまわり萎んで飴色に近づいてきています。
営繭の準備ができました、のお知らせです。
「上がる」のは蚕の都合。準備ができたらその時がきます。
「上げる」のは人間の都合。準備をして繭づくりを始めてもらうのです。
翌日は雨の予報。
わたしも午後には帰らねばならない(「人手があるうちにやっちゃおうよ」オーラを、密かに滲ませ続けていました)。
夜のうちに上蔟を決行することにしました。
19時。
西の空が妖しい色に焼けているさなか、明かりが灯る蚕小屋。
久米さんと里美ちゃんと3人で2時間、黙々と作業をしました。
無事にすべての蚕をベッドから拾い上げ、蔟(まぶし)に移し終わりました。
雑魚寝から、個室にお引っ越ししてもらうイメージでしょうか。
とはいえタイミングはそれぞれで、しばらくは自分のお気に入りの部屋を探してウロウロするのが常です。
わたしが帰る頃には、でき始めた繭がちらほらと。
それでもまだあっちへうろうろ、こっちへうろうろしている蚕もたくさんいます。
いいよいいよ、いつかは始まるもんね。
きみのペースでいいんだよ。
少し成長が遅めの蚕たちは、カンボジア方式のベッドへ移動してもらいました。
体は一回りも二回りも小さいけれど、いずれはちゃーんと繭をつくります。
こうして、2024年の春繭が終わりました。
心を残すことなく帰れることが、なによりしあわせ。
力仕事と気を揉むことが多い養蚕で、久米さん、さぞかし疲れただろうと思うと、クライマックスを迎える前に帰るのはどうにも心が残りそうでした。
翌日はかなりの雨量になり、あぁやっぱり前日に上蔟させてよかったね、とみな口を揃えました。
上蔟から3日。
これを書いているいま、まだ多くの蚕の旅は続いていることでしょう。
なんせ1.3キロメートルもの糸を吐くのです。
ショワショワという音が聞こえなくなったら、あとは待つばかり。
10日ほどしてから、繭かきが待っています。
(裕)
やってきました、2024年初の小高。
今シーズンはまだ雪を見ていない。
天気は荒れる予報。
新品のスタッドレスタイヤにすべてを任せて、雪道を楽しめる予定で向かったものの、ひたすら寒さに尽きる2日間でした。
1月も下旬になり、浮船の里は相変わらずの毎日です。
大寒を前に、久米さんは夏に向けてストールの製作を始めていました。
葉っぱを煮たり、あるいは生のまま使ったり、藍をさまざまに加工して染めた糸を仕掛けて、シャーッシャーッと穏やかにシャトルを動かします。
少し織っては、物差しでブロックの大きさをチェック。
いい色だなぁ。
久米さんが好きそうな、やさしい色合い。
桑畑をお借りしている佐藤さんご夫妻にあいさつに行き、桑刈りの相談も済ませてたらもう夕方。
今日は店じまいです。
リクエストに応えてくれて、この日のお夕飯は。。。
牛丼とポテトサラダ!
塩麹漬け白菜と、手作り味噌のお味噌汁も。
汁だくの牛丼、おいしかったなぁ。
調理中にカメラを向けると、いつもどおりちゃんと、笑ってくれます(笑)。
小高も久米さんも、変わらずでした。
夕飯時、お父さんと久米さんの、13年前の震災直後の話になりました。
知り合って12年ほどですが、まだまだ知らないことばかり、初めて聞くこともたくさん。
いつだか話してくれた、「ガソリンは半分まで減ったらすぐに満タンにする」という教えはしっかり守っています。
あっという間に2日が過ぎ、帰りはしっかり雪に降られての道中でした。
(裕)
明け方、タオルケットでは寒くて目が覚めるほど、小高の朝は秋の気配。
ひたすら桑を食べて時を過ごす蚕さんたちも、いよいよぷりぷりムチムチ期に突入しました。
天使の羽みたいにみえる蚕の背中。
そして顔みたいに見えるけれど、これはただの模様、の頭部。
友人にこの写真を送ったら「なにもしないのは分かってるけど、触るのには勇気が要る」と返ってきました。
そうかな、勇気、要るだろうか。かわいいですよね👀
連日5時に起きて桑刈り、お掃除、ごはんあげ、と重労働続きの久米さんはそろそろお疲れ気味。
これはなにをしているところかというと、しゃがんで、iPodから流れる楽曲に手拍子を打ちながら歌っているところです。
顔は笑ってるけど、疲れてるな。
ゆうべ午後6時、たっぷりの桑をあげて帰宅しました。
この状態の桑が
一晩たって今朝5時にはこの状態!
集合体がダメな方、ごめんなさい。
昨晩は桑の葉の下にいた蚕たち、今朝には葉を食べ尽くして、むちむちバディで「お腹空いたー!」と主張していました。
いよいよ秋の養蚕も最終コーナー。
週末には上蔟、となるかしら。
あと少し、もう少し!
(ゆ)
浮船の里で秋の養蚕が始まってから、今日で1週間。
5齢といい、いちばん食欲が旺盛な時期に入りました。
春はお手伝いがまったくできなかったので、せめて秋は。。
小田原からやってきました。
今朝の小高、空がやさしく染まっていきました。
同じ日に生まれた蚕たちですが、成長の度合いはそれぞれ。
右の子が通常サイズ、左の子がゆっくり目の子。
みずみずしい桑の葉を食べる気は、それぞれ満々です。
昨年はなにかと気を揉んだ桑の生長も、今年は満点!
久米さんの背を越えるほどの高さで、逆に刈るのが一苦労です。
「大きめの束を5つね」
9年近く通っても、未だにハサミの使い方と枝の伐り方がヘタなわたしは、久米さんが刈った桑を束ねて車に運ぶ係。
これもいい汗をかくのです。
浮船号、こんなにたくさんの桑を積んで走ります。
今日の蚕部屋のBGMは久米さんが好きな、島津亜矢さんのカバーアルバム。
シブい声で流れる「かもめはかもめ」を、聴くともなしに聴きながら、蚕はかいこで私はわたし、と、なんとなく今日のブログのタイトルが決定しました。
それはさておき、畑での桑刈りと蚕部屋のお掃除が終わり、脱ぎ捨ててあった上っ張りをなにげなく拾い上げると。。。
またー!
蚕さんをくっつけて、あやうく誘拐騒ぎです。
ほんと、久米さんには蚕がよくくっつく。
午後も1頭、一緒にお出かけしかけていました。
お昼ご飯で一休みして久米さんは早くも上属の準備に取りかかります。
蔟(まぶし)をきれいにする作業。
秋風が気持ちよい外で、蔟を一生懸命にブラッシング。
シャッシャッと小気味よい音をたてて、春の蚕たちが残した繭作りの名残を丁寧に手入れします。
蚕部屋の桑を確認して、今日はいったん退出です。
日の暮れるのが、ずいぶん早くなりました。
小高の空は本当に広くて、さざ波だっていた気持ちが落ち着きます。
夜、桑をもう少し足して、あすの朝までゆっくりお休み。
また5時に、ご飯をあげにくるからね。
(ゆ)
9月なのに、とんでもなく暑い小高です。
やってきました。
起きて4齢の、お蚕さま5,000頭。
あ。
今年の夏は本当に暑かったけど、久米さんは元気です!
道中のおしゃべり尽きず田村市都路まで蚕を引き取りに行き、浮船の特設ベッドにチェックインしてもらいました。
手前の直立の蚕さんは、寝ている状態。
食べやすいように細かく刻んだ桑の葉と5,000頭の蚕がひとつに丸まって移動してきたので、ふんわりかつダイナミックにかたまりをほぐしましたが、起きない。
一方で起きている蚕さんは、すでに周りの桑を食べ始めています。
中央右めの方はやる気満々の様子で、桑をハミハミしています。
こうして、卵からかえった瞬間からそれぞれの蚕生を歩みはじめ、繭になるタイミングも少しずつ違うのだな、と実感します。
桑畑をお借りしている佐藤さんご夫妻に、「よろしくお願いします」の挨拶に行きました。
働き者のおかあさん、今日も元気に鍬をふるっていました。
歯医者から帰ってきたおとうさんにも会うことが出来、いよいよ2023年の秋繭がスタートです。
わたしはいったん、ここで帰宅。
来週、蚕たちが5齢を迎えて食欲が最盛期になったころに、戻る予定です。
お菓子の小枝くらいの蚕ちゃん、どのくらい成長してるかなー!
日中、もう少し涼しくなっていますように。
(裕)