私たちが目指すこと。

浮船の里は、南相馬市小高区で暮らしてきた主婦三人が、2013年4月に立ち上げたNPO法人です。

紅梅山浮舟城と言われた小高城にちなんで、いつしか浮船の里と呼ばれるようになった小高。この私達の故郷・小高は、福島第一原発から20km圏内に位置するため、人が住めない場所になっています。避難指示解除準備区域とされた2012年4月からは、日中は自由に出入りすることができるようになりましたが、今なお、特別な場合を除いて、宿泊はできません。

家があるのに、いつ住めるようになるかわからない。住めるようになっても、商店や病院が戻ってこなければ生活はできない。放射能を恐れ、子ども達はここには戻ってこないだろうから、小高は年寄りだけの町になる。月日が経つ程に、人が住まなくなった家は荒れてゆく…。

小高の人々は、今、そういう不安を抱えて生きています。

でも、それでも、諦めずに前を向いて生きていきたい。
ふる里・小高を、自分達の手で漕いでゆきたい。
そういう思いを込めて、私達は、私達のつくったNPOを「浮船の里」と名付けました。

浮船の里を立ち上げるに当って、私達は以下のことを目指していました。

人が立ち寄れる場所をつくりたい。

小高の人が小高に来た時に、ふらっと立ち寄れる場所をつくりたい。
人がいることがわかれば、小高に怖くて入れなかった人も、入れるようになるかもしれない。待っている人がいると分かれば、小高まで会いに来てくれるようになるかもしれない。
それは、小高の人だけでなく、よその人も一緒です。色々な人に小高に来て欲しい。生きている限り、待ち続けるので、ふらっと立ち寄って欲しい。
だから、「ここに人がいる」ということを示すために、浮船の里の拠点である「あすなろ交流広場」には一年中鯉のぼりを立てています。

人が話し合える場所をつくりたい。

私は、震災後、人に話を聞いてもらうことで元気になりました。自分の話を聞いてもらうと、人は元気になれるし、前を向いて生きるようになれます。そのことを身をもって知ったので、小高の人のために、話をできる場所がつくりたいと思いました。
その全域が20km圏内に位置する小高区は、同じ南相馬市の中でも、原町区や鹿島区とは異なる状況に置かれています(ただし、原町区の一部も20km圏内です)。同じ仮設住宅にいても、小高の人とそれ以外の地区の人とでは、抱えているものが全然違うから、話し合うことも簡単ではありません。
でも、小高の人同士なら、気兼ねなく話し合えます。悩みや不安を共有できるし、相談もできます。
だから、小高の人同士で話をできる場をつくりたかったのです。そして、小高の人だけでなく、よそからも色々な人が来てくれて、色々な話ができて、色々な話が聞けて、色々な話し合いができる場。そういう開かれた場になることを目指して、私達は、あすなろ交流広場を立ち上げました。

浮船の里を設立し、あすなろ交流広場を立ち上げて一年半。この間、思っていた以上に色々な人が来てくれて、色々な話し合いをしてきました。そういう中で、見えてきたことがあります。そして、私達が目指すことが、一つ増えました。それは以下のこと。

普通の暮しを取り戻すため、稼げるようになりたい。

小高に住めなくなって、普通の暮しを営むということが、いかに大変なことなのかを私達は知りました。早く普通の暮しを取り戻したいと心から思います。
私達は、自分の手で稼ぐことがいかに大切なことかを知りました。普通の暮しを取り戻すには、そこから始めないといけません。少しでもいいから、小高で稼げるようになりたい。そうなれば、小高に住む意味も生まれます。
だから私達は、お蚕様を飼い始めました。かつて小高では、お蚕様を飼って現金収入を得ていました。私達も、先人に倣って、お蚕様でお金を生めるようになりたい。でも、繭をそのまま売るのではなく、手仕事を加えて、小高ならではの、価値のあるものをつくっていきたい。私達は、今、その夢に向かって少しずつ歩き始めています。

小高のことを気にかけて下さって有り難うございます。
小高のことを思ってくれる人がいる。小高に関心を持って、わざわざ会いに来てくれる人がいる。それがどれだけ私達の支えになっていることか。
心より感謝申し上げます。
そして、
これからもどうぞよろしくお願いいたします。

2014年9月吉日
特定非営利活動法人 浮船の里
理事長 久米静香

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