小高の春

2022年4月18日

コロナウイルスの感染流行が始まってから2年間見に来られなかった小高の桜。

 

今年は楽しみにしていました。

福島市で開花宣言が出ても、浜通りは「まだだね」と久米さん。

しつこく咲き具合を聞くもので、小高川の土手の桜並木の写真を毎日送ってくれるようになりました。

先週日曜日まではただの枝のように見えていた桜の木、翌11日の月曜日に「満開だよ~! 春だ。春だよ~!!」とのメッセージとともに、薄紅の衣をまとった姿が目に飛び込んできたときの驚きと言ったら。
こんなに急に開くものなんだ。。。
びっくりしました。

さて、都合上、どうしても週末しか行けない。
折りしも週末は台風予報。

うーん、悩ましいけど仕方ない。
散らないで、散らないで、と気を揉みながら過ごしていました。

3年ぶりの小高の桜。
鶯が鳴き、雉のつがいが田んぼをのどかに散歩する、小高の春です。

 

小高神社には花びらのじゅうたんができていました。
先月末の桑畑の手入れから始まった今年のお蚕さまの準備。
今回は藍の種を植えました。

去年とったあと乾燥させておいた種を前日から水に浸し、お昼から作業開始。

3センチ四方ほどに小さく仕切られたプラスティックケースに土を入れ

 

箸で、「5粒くらいね」種をつまみ、指で開けた穴の位置に落とす。
ただこれだけなのですが、やれ「少ない!」「穴にちゃんと入ってない!」。
久米監督、なかなか厳しいのです。

(明らかに)5粒以上の種を無事にすべてのスペースに落とし、土をふんわりかぶせて水を回しかけ、藍の種まきは終了しました。

通常2週間くらいで発芽するそうですが、うまくいくときもあればそうでないときもあるらしく、「気ぃ揉むんだよ~」。

お日さまがたっぷり入る久米家のサンルームに移動して、あとは毎日観察です。

ふと見ると、庭の隅っこにぴょこぴょこと茶色い物体。

何年ぶりに触っただろう。ツチガエルかな。

「そんなもの触って~!」信じられないといった目で見てくる久米さん。「かわいいじゃない」と言ったら「虫、大嫌いなのよ」。

これ虫じゃないんですけど。
つぶらな瞳でかわいいのにね。

再びお会いすることがないように、隅の隅に放しました。

 

霜注意報が出た4月中旬の小高、ここから先は温かい日が続くようです。
次はいつ来られるかな。
藍の成長を願います。(裕)

 

 

春を告げる

2022年3月25日

3か月ぶりの小高です。

 

暦の上ではすっかり春、けれど現実世界では関東・東北が雪に見舞われた3月24日、小高にやってきました。
目覚めると、うっすら霞がかかった空に輝く太陽。
やっぱり東北は空気が冷たいなぁ、と思っていたら、夜のうちにまた雪が降ったようでした。
久米家の庭の葉ボタンが薄化粧。

今日は2022年のお蚕さまはじめ、桑刈りです。
桑畑をお借りしている佐藤さんご夫妻と東京電力の社員さんに助けていただき、冬を越した桑の枝を切り、新芽の成長を促す大切な作業です。

日が昇り、土がぬくぬくと温まってきた畑からは蒸気がゆらゆら。
畑の斜面にはタンポポやフキノトウが顔を出し、テントウムシがあっちこっちでウロウロ。
東北にも春が来たことを実感します。

 

 

 

 

手のひらを広げて3つ分。太い枝を45センチほど残して刈り揃え、細い脇枝は根本から伐る桑刈りは地味な力仕事です。
地味だから、人手があると本当に助かる。
「毎年お手伝いに来て下さる東電さんには感謝だ~」と久米さんは言います。

伸び放題の桑ですが、去年はたくさんのおいしい葉っぱを恵んでくれました。

佐藤家のおかあさん・ヨシ子さんは黙々と手を動かします。
空気が澄んで、空がきれい。

 
左奥に見える、肥料まき部隊の仕事もなかなかハードです。
一袋20キロをリュックサックに全部あけ、リュックに接続したホースを上下に揺らし、左右に振りながら桑畑を練り歩きます。

 

作業開始から3時間、桑はすっかりきれいに刈られ、地面にはたっぷり肥料が行き渡りました。

かたそうな蕾を孕んだ桑。
刺激を与えられ、温まる空気に包まれ、これからどんどん成長してくれるのを楽しみにします。

去年は10,000頭のお蚕さまに悶絶した浮船の里。
今年は例年通り5,000頭を育てる予定ですが、どんな物語がうまれるのでしょうか。

余震は絶えず続いていますが、小高は元気です。(裕)

年の瀬 小高 2021

2021年12月27日

年末恒例、小高へやってきました。
折しも大寒波襲来直前。行くか、止めるかさんざん迷い、えいやっと愛車のエンジンをかけたのがクリスマスの20時半。

早めに帰省する方たちの波に乗ったのか、常より混んでいる常磐道をひた走り、日付変わって午前1時に小高に着きました。

大雪は日本海側が中心と言っていたっけ。
さすがに日の出は無理そうだから、ちょっとゆっくり寝ようかな、と携帯のアラームを7時にセットしてお布団に入りました。

午前7時。

カーテンを開けると広がっていたのは、ほんのりした雪景色。
晴れているのに、雪。

不思議ですよね。でも晴れていたんです。
とっても明るいし、海側は青空が見えていました。

 

 

だれも歩いていない雪道って、なんかいい。
新聞の配達員さんの轍もないところを見ると、短時間で積もったのかしら。

とにかく今季初の雪に喜びを噛みしめましたが、寒がりの久米さんはシブいお顔。
ダウンベストにばんこ(半纏)、スパッツにニット帽ととにかく着込み、ストーブもエアコンも空気清浄機も扇風機もつけて、室内を暖めはじめました。

 

いくつかの用事を済ませ、ひと心地ついたところで「アップルパイ、作ったことある?」
ずいぶん唐突な、久米さんからの質問。
「ないです」
「冷凍のパイシートがあるから、作ってみよう!」

 

年末だからと言って特別なことは、さしてしない(笑)
通常運転の小高の日々。
おいしいバンビりんご団地のりんごを切って、レモンとシナモン、砂糖と合わせて火を通し〝フィリング〟を作りはじめました。

 

フィリングができたら、次の工程は「粗熱をとってからパイシートに広げる」。
出来たてアッツアツのりんごを冷ますのに、もっとも効果的な方法は。。。。

 
外に出す!
もはや雪はほとんど姿を消してしまい、キンキンに冷えた空気だけが残る庭にフライパンを突き出しながら、「寒いさむい」と嘆く久米さん。
0度の外気のおかげで、あっっっっっという間に湯気は消えました。

 

こうして久米さんとわたしの共同制作で、ともに人生初のアップルパイが焼けました。

 

シナモンがきいたトロトロしゃくしゃくのりんごが、口の中で甘ーく溶けます。
いくらでも食べられそうなおいしさでした。

 

おやつが終わると、いつしか帰る時間が近づいていました。
ガソリンを満タンにして、また350キロを走ります。

国道6号に出ると、日暮れ前の景色に行きあいました。

 

 

 

まもなく2021年が終わります。
1万頭のお蚕さまが来た6月、繭玉1,000個の袋詰めカウントに悶絶した7月、しばらくぶりの11月、年納めのごあいさつの12月。
ありがたいことに、いつも通りの1年を無事に過ごすことができました。

 

次回の小高行きを心から楽しみに、ゆっくり今年を振り返ろうと思います。

as usual

2021年11月22日

11月ももうすぐ終わり。

本格的な冬がくる前に、小高を訪れました。
淡くやさしい夕景が、小高駅の向こうに広がります。

皆既月食2日後の朝、澄み切った小高の空に登った太陽の対面に
「じゃあ、わたしは今から休みます」と、まだ、ほぼまんまる(に見える)のお月さま。


冷たい空気が頬に気持ちいい、冬一歩手前の、朝の景色です。
いつも通り-。

いつ小高に来ても、なにか特別なことがあるわけではなく、ただ普通に〝その日〟を過ごします。
りんごが美味しい季節だし、新知町までドライブしながら買いに行こうか。

 


たわわに実ったりんごの赤や銀杏の黄金色に目を奪われながら、小高に帰り着く目前で、桑畑をお借りしている佐藤さんご夫妻を訪ね
「分けてください」とおねだりしました。


鈴なりに実った柚子です。
お漬物に少し入れれば香りがいいし、柚子湯にすればあたたまるし。


高いところにある立派な形の柚子に手を伸ばすお父さん、「もっと右にいっぱいあるよぉ」と脚立を支えるお母さんの声援を受けて、
たくさん取ってくださいました。

手塩にかけた白菜に青梗菜、大根にネギなど抱えきれないほどのお土産をいただいて帰り着き、あとは久米家の台所でおしゃべり。

夕方5時から点灯するイルミネーションを見て帰ろうと決めていたものの、ぬくぬくと暖かい場所と時間を置き去りにして、
寒くて暗くなった外に出るのは、なんともさびしいものでした。

 

 

 

 

いつも通り、片道4時間半。
真っ直ぐな常磐道、くねくねした首都高、明るさに包まれる東名を走ってわが家に帰り着くと、
ついさっきまでいた小高は、「すぐそこ」くらいの感覚です。

なにも特別なことがなくてもいい。
なにも変わらないことを確かめて安心する。

いつも通りの小高がありました。

1枚も登場しないと皆さんさびしいと思うので、最後に久米さんの姿を。

イルミネーションの点灯式前に、同級生が集まって組んだバンドでキーボードを演奏する久米さんです。

小首をかしげて、一生懸命。
ジングルベルもいいけれど、「二人の銀座」や「シェルブールの雨傘」もなかなかどうして、イルミネーションとマッチしていました。

証(後編)

2021年6月25日

繭かきが終わってすぐ、今度は浮船の里の蚕部屋に戻り、繭玉を数える作業に取りかかりました。

佐藤さん宅から持ち帰った繭は、土嚢袋6つ分。
手前の土嚢袋に乗っている繭は、入居可能物件として案内された蔟(まぶし)に空き部屋がなく、
仕方なしに場外で営繭したお蚕さまが作ったもの。
この辺は完全に人間の采配ミスです、ごめんね。

できた繭は、100個ずつ袋に詰めて冷凍します。
小高い繭の丘を少しずつ切り崩しながら、汚れが目に付くものは取り除き、うっすらと絡みつくケバをむしり取り、ひたすら100を数える地道な作業。
土嚢袋5つで繭5,000個分をカウントしたところで、お昼になりました。

 

午後、作業再開からしばらくして、繭って卵に似てるね、という話題になりました。
すると里美ちゃん、「黄身と白身を分けようとしてるときに、くっついて全部ズルッとボウルの外に落ちちゃった時って切ないよねぇ」とポツリ。
久米さん「そうだねぇ。どうしようもないもんねぇ」
卵談義に一瞬花が咲き、また黙々と100の呪文を唱え始めました。

女性は並行作業が得意、と言われています。
手と頭で、同時に全然違うことができる、ということ。
他愛ないおしゃべりに茶々を入れながら、繭の山は低くなっていきました。
そして午後3時、山は更地になりました。


この時点で、100個入りの袋を10詰めて、1袋1,000個の繭が入っている計算になる土嚢袋は9つ。

手前のザルは、まだこれからケバ取りをするものや、汚れが目立つので除けた繭。
ざっと2つで1,000個くらいはあるんじゃないだろうか。
となると、出来た繭は10,000以上、と言う計算になります。

最終的な数の集計は、あすに持ち越されることになりました。
(疲れちゃったのです!みんな)
ゆえに、小田原に帰宅してブログを書いている時点では正確な数が未発表のため、こちらは確定次第、久米さんと里美ちゃんから改めてお知らせして貰うことにします。

 

お蚕さまが一生懸命に作ってくれた繭。
軽くて、ちょっとショワショワした感触の、不思議な心地です。
フォトジェニックな美繭を集めて、里美ちゃんの手のひらに乗せてパチリ。

きれいだなぁ。見とれちゃう。

 

向かって左は、極小繭。
右は親繭。親繭とは2頭の蚕が一緒になって営繭した、大きめサイズの繭です。

こちらは運命の相手だったのかな。固く抱き合って(でもちゃんと、親しき仲にも礼儀あり、で別々に籠もってます)営繭してくれたお蚕さまたち。

 

繭かきの時に佐藤さん宅で、親繭を一つ切り開いてみました。
糸でありながら、和紙をもう少し厚くしたような、しっかりとした質感。
そして、この時点で既に光沢があるのです。

そうそう、前編でお伝えした「一つの蔟(まぶし)がほぼ入居率100%」がなぜよくないかと言いすと、自分の部屋を求めてウロウロするお蚕さま、途中で少しずつ糸を吐きながら移動するそうなのです。
つまりいざお部屋を見つけて営繭をはじめても、ウロウロ時に吐いた分の糸長が短くなってしまい、収量にも影響が生ずるということ。
1頭だけならたいしたことはないのですが、あまりに場外営繭の蚕が多いと全体の収量が減ってしまいます。塵も積もれば、ですね。

 

こうして2021年の春繭は、すべての作業が終わりました。

土嚢袋に収まった繭玉は、おいしい桑をたっぷり食べて美しい絹の糸を吐き出した、お蚕さまの命の証。

そして10,000頭を育て上げるべく奔走した、久米さんと里美ちゃんの努力の証です。

 

 

いっときは激しく降った雨がいつしか止み、ふと見れば空にはうっすらと、虹。
最高のごほうびに心を満たしながら、浮船の里を後にしました。


(裕)