2025年の春繭しごと、始まりました!

2025年3月23日

小高に春が来ました。

 

桑畑をお借りしている佐藤さん宅の畑の土手には、フキノトウやらオオイヌノフグリやらハナニラやら。

気温もグングン上がって、上着を着込むと汗をかくほどの陽気の中、2025年の春繭しごとが始まりました。

小田原から宏子さんが来てくれて、佐藤さんご夫妻の指導のもと、桑刈りです!

 

細い枝を根元から切り、初夏に良い葉っぱがたくさんつくよう、手入れします。

前日にお父さんたちがフライングしてくださっていたので、あっという間に作業は終了。そうなればいつものお茶っこタイムです。

 

お煎餅にデコポン、ジュースに大福。ちょっとお母さんの姿が見えないと思うと、お台所から新たにバナナを持って登場しました。ちょっとも座っていない、気遣いのお母さんなのです。

昨年購入したお父さん自慢のトラクターの前でしばし歓談し、佐藤さん宅を後にしました。

今日はお楽しみがもう一つ。

 

久米さんの友人の愛子さんが、まぜぶかしを用意してくれていました。

しっかりとお味のついた具材がたくさん入ったまぜぶかし。お野菜たっぷりのけんちん汁の鍋も一緒に、浮船の里にお届けくださって、ほかほかのランチタイムです。

「普通の家庭料理よ」と言いますが、こういうごはんが一番おいしい。

おむすび2つとけんちん汁3杯を平らげて、ようやく満足しました。

 

昼食後、久米さんとわたしは6号線沿いの桜の手入れに向かいました。

東日本大震災後、京都府警から南相馬市に派遣されていた警察官の方が植えた桜が、国道6号沿いにあります。

枝の一部が密集している様子が、通るたびに気になっていた久米さん。ハサミを持って、木登りして、手入れを行いました。

 

震災から14年が経ちました。

お蚕さんのお世話で小高に来る。

特に用がなくても、久米さんに会いに行く。

久米さんは新海苔が出たら、佃煮を作って送ってくれる。

わたしは小田原のみかんの季節になると、久米さんが好きだからと送ってみる。

そんなこんなの14年でした。

この桜を植えた警察官の方たちをはじめ、久米さんのところに遊びに来るたびに、たくさんの人と出会いました。

久しぶりの小高を満喫したかったのにバタバタと仕事が入り、小高での滞在時間はたったの18時間。

ひとり車を走らせながら、さまざまなことを思い出す春の福島路でした。

 

 

4039個の秋繭

2024年10月19日

4ヶ月ぶりくらいで、小高にきました。

例のごとく深夜に到着し、朝起きてから1階のお台所で「おはようございます」の挨拶で1日が始まります。

 

浮船の里で、ワイン色の糸をよりながら久米さんが「あしたは繭かきだよ」と言いました。

え?聞いてない。

今晩帰ろうかと思っていたのに。

 

聞いたら最後、繭かきをしないわけにはいかなくなりました(しなくても全然構わないのですが)。

というわけで、久米家に連泊が決定。

お夕飯の一品は、だいすきなポテサラ。久米さんのポテサラ、おいしいのです。

彩よくできあがったものは、すぐにお腹に入りました。

 

夕食後、栗をいただきに原町までドライブして、帰ったら即、皮むき。

小高にいると、飛ぶように時間が過ぎていきます。

あっさりと、木曜日が終わりました。

 

明けて金曜日。

ちょっと蒸し暑いような小高の空です。

蔟(まぶし)を浮船号(軽バン)に積んで、桑畑をお借りしている佐藤さんご夫妻を訪ねます。

さらーっと視線を蚕小屋の中に走らせると、いました。脱走兵!

よじよじと壁を登り、天井のすぐしたで営繭した模様。

 

以前は後部座席がなく真っ平らだった浮船号、今日はちゃんと人間用のシートに座って、快適に移動です。

いつものように、マユクリンに入れる前に検品タイム。

汚れている繭、薄い繭はとりだしておきます。

里美ちゃんが持っているこの蔟、ずいぶん密集してるな。

 

佐藤さんのお父さんは、だいぶ涼しくなってきた10月中旬でも、このスタイル。

いつも裸足です。

お帽子かぶって、ちゃんと腕時計をはめて、サンダル履き。

 

蔟からはずれて一つひとつの個体になった繭が、どんどん出てきます。

 

繭も、お父さんの手もきれい。

 

小さなちいさな繭と、おそらく玉繭(上)。

玉繭とは2頭以上の蚕が一緒に営繭した状態をいいます。

とれた繭をすべて袋に詰めて、2024年秋の繭かきは終わりました。

時間がないからいーよー!って言ったのに、佐藤さんのお母さんはお茶この支度をしてくれていました。

皮むいたから持ってきな、って銀杏も。

お父さんの後ろにあるピカピカのトラクターは、ことし購入したもの。

畑で乗っている姿を見たいなぁ。

「繭かきは」無事に終わりました。残っているのは、繭をカウントして、小袋に分けて収納する作業。

そう、100地獄です。

ひたすら数えて、100になったらビニール袋に入れていく。

それだけなのですが、単純作業が苦手なわたしには、これがなかなかの苦行です。

 

2024年秋は、4039個の繭がとれました。

5齢のいちばん桑を食べる時期に、小田原から2組助っ人が来てくれたそうです。

久米さん、とても感謝していました。

 

佐藤さんご夫妻はともに80代。

浮船の里の養蚕に関わってくださる方も我々も、みーんな元気で来年またお蚕さまを育てられるかどうか、それは決まったことではないのです。

(裕)

上げたのか上がったのか、それは問題ではない

2024年6月21日

ひさびさの小高の広い空です。

なんと1月に来て以来。

目まぐるしい毎日に追われ、いろいろなことが駆け足で過ぎ去ります。

たまーに声が聞きたくなって電話をすると、久米さんはいつも通り。

「元気だよー」。
6月、清々しい空と同じように、やっぱり変わらぬ久米さんが、小高にいました。

 

 

 

蚕は5齢の最高潮で、いちばんご飯を食べるとき。

わたしが訪れた日から遡ること4日、小田原から力強い助っ人の宏子さんが久米さんと一緒に汗をかいてくれていました。

到着した翌日、さっそく5時に起きて桑をあげに蚕小屋へ。

桑の成長は著しく、伐った枝から葉だけをはずして(条抜きといいます)蚕に食べてもらいます。

あれこれしているうちに宏子さんの出立の時間。〝都会の女〟仕様になって、浮船を後にしました。

 

さて、我々は桑刈りへ。

 

 

久米さんに借りた割烹着、すごくいい!

ご満悦のポーズです。

 

わたしの仕事は、ひたすら桑を伐り続ける久米さんの後をついていき、束ねる作業。

 

そのうちに、畑の持ち主の佐藤さんのお母さんがやってきました。

座って久米さんとおしゃべり。

カメラを向けるととぉーっても恥ずかしがるのですが、チャーミングな笑顔を見せてくれます。

 

やや遅れてお父さんも登場。

空がきれいで、みんな穏やか。

小高らしいひとときです。

 

さて、戻った蚕小屋では久米さんが悩み始めました。

 

お知らせが、来たかなぁ。

左右の蚕の違い、わかりますでしょうか。

もりもり食べ盛りでぷくーっと膨れた真っ白なからだが、ひとまわり萎んで飴色に近づいてきています。

営繭の準備ができました、のお知らせです。

 

「上がる」のは蚕の都合。準備ができたらその時がきます。

「上げる」のは人間の都合。準備をして繭づくりを始めてもらうのです。

 

翌日は雨の予報。

わたしも午後には帰らねばならない(「人手があるうちにやっちゃおうよ」オーラを、密かに滲ませ続けていました)。

夜のうちに上蔟を決行することにしました。

19時。

西の空が妖しい色に焼けているさなか、明かりが灯る蚕小屋。

久米さんと里美ちゃんと3人で2時間、黙々と作業をしました。

無事にすべての蚕をベッドから拾い上げ、蔟(まぶし)に移し終わりました。

雑魚寝から、個室にお引っ越ししてもらうイメージでしょうか。

 

とはいえタイミングはそれぞれで、しばらくは自分のお気に入りの部屋を探してウロウロするのが常です。

 

わたしが帰る頃には、でき始めた繭がちらほらと。

それでもまだあっちへうろうろ、こっちへうろうろしている蚕もたくさんいます。

いいよいいよ、いつかは始まるもんね。

きみのペースでいいんだよ。

 

少し成長が遅めの蚕たちは、カンボジア方式のベッドへ移動してもらいました。

体は一回りも二回りも小さいけれど、いずれはちゃーんと繭をつくります。

 

こうして、2024年の春繭が終わりました。

心を残すことなく帰れることが、なによりしあわせ。

力仕事と気を揉むことが多い養蚕で、久米さん、さぞかし疲れただろうと思うと、クライマックスを迎える前に帰るのはどうにも心が残りそうでした。

翌日はかなりの雨量になり、あぁやっぱり前日に上蔟させてよかったね、とみな口を揃えました。

上蔟から3日。

これを書いているいま、まだ多くの蚕の旅は続いていることでしょう。

なんせ1.3キロメートルもの糸を吐くのです。

ショワショワという音が聞こえなくなったら、あとは待つばかり。

10日ほどしてから、繭かきが待っています。

(裕)

 

 

元気です!

2024年1月24日

やってきました、2024年初の小高。

今シーズンはまだ雪を見ていない。
天気は荒れる予報。

新品のスタッドレスタイヤにすべてを任せて、雪道を楽しめる予定で向かったものの、ひたすら寒さに尽きる2日間でした。

1月も下旬になり、浮船の里は相変わらずの毎日です。

大寒を前に、久米さんは夏に向けてストールの製作を始めていました。

葉っぱを煮たり、あるいは生のまま使ったり、藍をさまざまに加工して染めた糸を仕掛けて、シャーッシャーッと穏やかにシャトルを動かします。

少し織っては、物差しでブロックの大きさをチェック。

 

いい色だなぁ。
久米さんが好きそうな、やさしい色合い。

桑畑をお借りしている佐藤さんご夫妻にあいさつに行き、桑刈りの相談も済ませてたらもう夕方。

今日は店じまいです。

リクエストに応えてくれて、この日のお夕飯は。。。

 

 

牛丼とポテトサラダ!

塩麹漬け白菜と、手作り味噌のお味噌汁も。

汁だくの牛丼、おいしかったなぁ。

調理中にカメラを向けると、いつもどおりちゃんと、笑ってくれます(笑)。

小高も久米さんも、変わらずでした。

 

 

夕飯時、お父さんと久米さんの、13年前の震災直後の話になりました。

知り合って12年ほどですが、まだまだ知らないことばかり、初めて聞くこともたくさん。

いつだか話してくれた、「ガソリンは半分まで減ったらすぐに満タンにする」という教えはしっかり守っています。

あっという間に2日が過ぎ、帰りはしっかり雪に降られての道中でした。

(裕)

あと少し

2023年9月28日

明け方、タオルケットでは寒くて目が覚めるほど、小高の朝は秋の気配。

ひたすら桑を食べて時を過ごす蚕さんたちも、いよいよぷりぷりムチムチ期に突入しました。

 

天使の羽みたいにみえる蚕の背中。

 

そして顔みたいに見えるけれど、これはただの模様、の頭部。

 

友人にこの写真を送ったら「なにもしないのは分かってるけど、触るのには勇気が要る」と返ってきました。

そうかな、勇気、要るだろうか。かわいいですよね👀

 
連日5時に起きて桑刈り、お掃除、ごはんあげ、と重労働続きの久米さんはそろそろお疲れ気味。

これはなにをしているところかというと、しゃがんで、iPodから流れる楽曲に手拍子を打ちながら歌っているところです。

顔は笑ってるけど、疲れてるな。

ゆうべ午後6時、たっぷりの桑をあげて帰宅しました。

この状態の桑が

 

一晩たって今朝5時にはこの状態!

 

集合体がダメな方、ごめんなさい。

昨晩は桑の葉の下にいた蚕たち、今朝には葉を食べ尽くして、むちむちバディで「お腹空いたー!」と主張していました。

 

いよいよ秋の養蚕も最終コーナー。

週末には上蔟、となるかしら。

あと少し、もう少し!

(ゆ)