4039個の秋繭

2024年10月19日

4ヶ月ぶりくらいで、小高にきました。

例のごとく深夜に到着し、朝起きてから1階のお台所で「おはようございます」の挨拶で1日が始まります。

 

浮船の里で、ワイン色の糸をよりながら久米さんが「あしたは繭かきだよ」と言いました。

え?聞いてない。

今晩帰ろうかと思っていたのに。

 

聞いたら最後、繭かきをしないわけにはいかなくなりました(しなくても全然構わないのですが)。

というわけで、久米家に連泊が決定。

お夕飯の一品は、だいすきなポテサラ。久米さんのポテサラ、おいしいのです。

彩よくできあがったものは、すぐにお腹に入りました。

 

夕食後、栗をいただきに原町までドライブして、帰ったら即、皮むき。

小高にいると、飛ぶように時間が過ぎていきます。

あっさりと、木曜日が終わりました。

 

明けて金曜日。

ちょっと蒸し暑いような小高の空です。

蔟(まぶし)を浮船号(軽バン)に積んで、桑畑をお借りしている佐藤さんご夫妻を訪ねます。

さらーっと視線を蚕小屋の中に走らせると、いました。脱走兵!

よじよじと壁を登り、天井のすぐしたで営繭した模様。

 

以前は後部座席がなく真っ平らだった浮船号、今日はちゃんと人間用のシートに座って、快適に移動です。

いつものように、マユクリンに入れる前に検品タイム。

汚れている繭、薄い繭はとりだしておきます。

里美ちゃんが持っているこの蔟、ずいぶん密集してるな。

 

佐藤さんのお父さんは、だいぶ涼しくなってきた10月中旬でも、このスタイル。

いつも裸足です。

お帽子かぶって、ちゃんと腕時計をはめて、サンダル履き。

 

蔟からはずれて一つひとつの個体になった繭が、どんどん出てきます。

 

繭も、お父さんの手もきれい。

 

小さなちいさな繭と、おそらく玉繭(上)。

玉繭とは2頭以上の蚕が一緒に営繭した状態をいいます。

とれた繭をすべて袋に詰めて、2024年秋の繭かきは終わりました。

時間がないからいーよー!って言ったのに、佐藤さんのお母さんはお茶この支度をしてくれていました。

皮むいたから持ってきな、って銀杏も。

お父さんの後ろにあるピカピカのトラクターは、ことし購入したもの。

畑で乗っている姿を見たいなぁ。

「繭かきは」無事に終わりました。残っているのは、繭をカウントして、小袋に分けて収納する作業。

そう、100地獄です。

ひたすら数えて、100になったらビニール袋に入れていく。

それだけなのですが、単純作業が苦手なわたしには、これがなかなかの苦行です。

 

2024年秋は、4039個の繭がとれました。

5齢のいちばん桑を食べる時期に、小田原から2組助っ人が来てくれたそうです。

久米さん、とても感謝していました。

 

佐藤さんご夫妻はともに80代。

浮船の里の養蚕に関わってくださる方も我々も、みーんな元気で来年またお蚕さまを育てられるかどうか、それは決まったことではないのです。

(裕)