4ヶ月ぶりくらいで、小高にきました。
例のごとく深夜に到着し、朝起きてから1階のお台所で「おはようございます」の挨拶で1日が始まります。
浮船の里で、ワイン色の糸をよりながら久米さんが「あしたは繭かきだよ」と言いました。
え?聞いてない。
今晩帰ろうかと思っていたのに。
聞いたら最後、繭かきをしないわけにはいかなくなりました(しなくても全然構わないのですが)。
というわけで、久米家に連泊が決定。
お夕飯の一品は、だいすきなポテサラ。久米さんのポテサラ、おいしいのです。
彩よくできあがったものは、すぐにお腹に入りました。
夕食後、栗をいただきに原町までドライブして、帰ったら即、皮むき。
小高にいると、飛ぶように時間が過ぎていきます。
あっさりと、木曜日が終わりました。
明けて金曜日。
ちょっと蒸し暑いような小高の空です。
蔟(まぶし)を浮船号(軽バン)に積んで、桑畑をお借りしている佐藤さんご夫妻を訪ねます。
さらーっと視線を蚕小屋の中に走らせると、いました。脱走兵!
よじよじと壁を登り、天井のすぐしたで営繭した模様。
以前は後部座席がなく真っ平らだった浮船号、今日はちゃんと人間用のシートに座って、快適に移動です。
いつものように、マユクリンに入れる前に検品タイム。
汚れている繭、薄い繭はとりだしておきます。
里美ちゃんが持っているこの蔟、ずいぶん密集してるな。
佐藤さんのお父さんは、だいぶ涼しくなってきた10月中旬でも、このスタイル。
いつも裸足です。
お帽子かぶって、ちゃんと腕時計をはめて、サンダル履き。
蔟からはずれて一つひとつの個体になった繭が、どんどん出てきます。
繭も、お父さんの手もきれい。
小さなちいさな繭と、おそらく玉繭(上)。
玉繭とは2頭以上の蚕が一緒に営繭した状態をいいます。
とれた繭をすべて袋に詰めて、2024年秋の繭かきは終わりました。
時間がないからいーよー!って言ったのに、佐藤さんのお母さんはお茶この支度をしてくれていました。
皮むいたから持ってきな、って銀杏も。
お父さんの後ろにあるピカピカのトラクターは、ことし購入したもの。
畑で乗っている姿を見たいなぁ。
「繭かきは」無事に終わりました。残っているのは、繭をカウントして、小袋に分けて収納する作業。
そう、100地獄です。
ひたすら数えて、100になったらビニール袋に入れていく。
それだけなのですが、単純作業が苦手なわたしには、これがなかなかの苦行です。
2024年秋は、4039個の繭がとれました。
5齢のいちばん桑を食べる時期に、小田原から2組助っ人が来てくれたそうです。
久米さん、とても感謝していました。
佐藤さんご夫妻はともに80代。
浮船の里の養蚕に関わってくださる方も我々も、みーんな元気で来年またお蚕さまを育てられるかどうか、それは決まったことではないのです。
(裕)