上げたのか上がったのか、それは問題ではない

2024年6月21日

ひさびさの小高の広い空です。

なんと1月に来て以来。

目まぐるしい毎日に追われ、いろいろなことが駆け足で過ぎ去ります。

たまーに声が聞きたくなって電話をすると、久米さんはいつも通り。

「元気だよー」。
6月、清々しい空と同じように、やっぱり変わらぬ久米さんが、小高にいました。

 

 

 

蚕は5齢の最高潮で、いちばんご飯を食べるとき。

わたしが訪れた日から遡ること4日、小田原から力強い助っ人の宏子さんが久米さんと一緒に汗をかいてくれていました。

到着した翌日、さっそく5時に起きて桑をあげに蚕小屋へ。

桑の成長は著しく、伐った枝から葉だけをはずして(条抜きといいます)蚕に食べてもらいます。

あれこれしているうちに宏子さんの出立の時間。〝都会の女〟仕様になって、浮船を後にしました。

 

さて、我々は桑刈りへ。

 

 

久米さんに借りた割烹着、すごくいい!

ご満悦のポーズです。

 

わたしの仕事は、ひたすら桑を伐り続ける久米さんの後をついていき、束ねる作業。

 

そのうちに、畑の持ち主の佐藤さんのお母さんがやってきました。

座って久米さんとおしゃべり。

カメラを向けるととぉーっても恥ずかしがるのですが、チャーミングな笑顔を見せてくれます。

 

やや遅れてお父さんも登場。

空がきれいで、みんな穏やか。

小高らしいひとときです。

 

さて、戻った蚕小屋では久米さんが悩み始めました。

 

お知らせが、来たかなぁ。

左右の蚕の違い、わかりますでしょうか。

もりもり食べ盛りでぷくーっと膨れた真っ白なからだが、ひとまわり萎んで飴色に近づいてきています。

営繭の準備ができました、のお知らせです。

 

「上がる」のは蚕の都合。準備ができたらその時がきます。

「上げる」のは人間の都合。準備をして繭づくりを始めてもらうのです。

 

翌日は雨の予報。

わたしも午後には帰らねばならない(「人手があるうちにやっちゃおうよ」オーラを、密かに滲ませ続けていました)。

夜のうちに上蔟を決行することにしました。

19時。

西の空が妖しい色に焼けているさなか、明かりが灯る蚕小屋。

久米さんと里美ちゃんと3人で2時間、黙々と作業をしました。

無事にすべての蚕をベッドから拾い上げ、蔟(まぶし)に移し終わりました。

雑魚寝から、個室にお引っ越ししてもらうイメージでしょうか。

 

とはいえタイミングはそれぞれで、しばらくは自分のお気に入りの部屋を探してウロウロするのが常です。

 

わたしが帰る頃には、でき始めた繭がちらほらと。

それでもまだあっちへうろうろ、こっちへうろうろしている蚕もたくさんいます。

いいよいいよ、いつかは始まるもんね。

きみのペースでいいんだよ。

 

少し成長が遅めの蚕たちは、カンボジア方式のベッドへ移動してもらいました。

体は一回りも二回りも小さいけれど、いずれはちゃーんと繭をつくります。

 

こうして、2024年の春繭が終わりました。

心を残すことなく帰れることが、なによりしあわせ。

力仕事と気を揉むことが多い養蚕で、久米さん、さぞかし疲れただろうと思うと、クライマックスを迎える前に帰るのはどうにも心が残りそうでした。

翌日はかなりの雨量になり、あぁやっぱり前日に上蔟させてよかったね、とみな口を揃えました。

上蔟から3日。

これを書いているいま、まだ多くの蚕の旅は続いていることでしょう。

なんせ1.3キロメートルもの糸を吐くのです。

ショワショワという音が聞こえなくなったら、あとは待つばかり。

10日ほどしてから、繭かきが待っています。

(裕)